【12m22d】「ママなんか死んでも良い!」?
過激なタイトルですが、今日の通勤電車で考えさせられたこと。
仕事からの帰り道。ある駅で、男の子(3歳くらい)とそのパパが電車に乗ってきました。
本当は先頭車両に乗りたかったんだろうけれど、発車ギリギリにホームに着いたが故に、先頭から2両目に乗ることになった男の子。乗った瞬間から超不機嫌で、「嫌だ嫌だ」と床に寝転がって足をジタバタ。いくらパパさんが「先頭車両に移動しよう?」と言っても、イライラでパニック状態の男の子はすでに聞く耳持たず。あまりに暴れまくって、持ってたスマホ(?)のストラップが他人に当たりそうだったため、パパさんが抱き上げたところ、
「うわわゎーん!!!パパなんか死んでも良いー!!」
と大絶叫すること2回。
車内中がドキリとしたはず。一種の緊張感が走ったように思います。
そのままパパさんは子どもを下ろし、子どもは車両の後方へ逃亡。追いかけても火に油を注ぐだけ、と判断したであろうパパさんは静観。現に男の子は静かになってました。
結局、私は次の駅で降りてしまったので、この親子の顛末を見ることは出来なかったのですが、
パパなんか死んでも良い。
が頭の中をグルグル。
そのパパさんは「そんなこと言わないでよ〜」と返していましたが…。
イヤイヤ期真っ盛りなのかもしれない。もしかしたら、情動面において支援の必要な子なのかもしれない。
もっと言えば、「パパなんて大嫌い!」と言うべきところ、どこかで覚えた「死ぬ」って言葉を使いたかっただけなのかもしれない。
でも。
パパなんか死んでも良い。
……。
……。
仮に、私が成長した娘から「ママなんか死んでも良い!」と泣き叫ばれたら。
ツライなぁ。。
どう対処するのが正解なんだろう。
昔であれば、怒鳴ったり、叩いたり。強制的にでもそんなことを言わせない手立てがあったんだろう。(むしろ、そうやって育てられている子は親に対して「死んでもいい」なんて言わなかったと思うけれど。)
今はひたすら、「子どもに寄り添え」というのが正解らしい。
「真剣に向き合う、でも、同じ土俵には立たない。」
理想的目標としては非常に理解できるんだけど、いざ実際に聞いた「パパなんて死んでも良い」は、そんなことすっ飛んでしまうような鋭さでした。